【ストーリー①②】【大学2,3年/2〜6月】NTTの営業を始め、全国2位になる
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【ストーリー⓪】この4年間のストーリーを書きます! - 元学生社長の希少な戯れ言
NTT東日本ーフレッツ光の営業を始める
恩師から営業の重要性を学び、営業を始めたい旨を恩師に相談したところ
「おれの昔の弟子が営業会社やってるから、紹介してあげるよ。その代わりちゃんと結果出してね。」
と言っていただき、千葉県船橋にある会社で大学2年の2月からフレッツ光の営業を始めることになりました。
会ってみると、その弟子はサーフィンが似合う様ないい感じの兄ちゃんで月に300万ぐらい稼いでいました。
フレッツ光の営業とは、どんなものかというと
フレッツ光は、皆さんご存知の通り、インターネットを使うためのサービスです。2002年まではADSLという回線をインターネット各社がサービス提供していましたが、2003年以降NTT東日本の光回線が登場したことによりフレッツ光がほぼ市場を独占しました。
参考:パソコン活用=NTT・フレッツ光! 快適パソコン活用=
これを、実際にマンションにいって、ピンポンを押して、売るという営業でした。
いわゆる”飛び込み営業”といわれる、最も厳しいと言われている営業です。
”フルコミッション”という収入形態
「時給○○○○円」これがそれまで見たことのある収入形態でした。
どんなに働いても、どんなに成果を出しても、収入は変わらず。
1年やっても時給が20円とか上がる程度のものでした。
しかし、このフレッツ光の営業ではそういった収入形態ではなく、
”フルコミッション”と言われる収入形態でした。
フルコミッションとは簡単にいうと、
「1件○○○○○円」みたいな感じです。成果や頑張りがもろに反映されますが、成果を出せないと収入も発生しないといった形態です。
私がこのフレッツ光の営業を始めた時、その恩師のご紹介と言うことで
「1件40000円」でスタートしました。
歩合制の営業について細かく知りたい方は、こちら↓
初月で代理店トップに
2月11日(日)に会社のある船橋で研修を受け、2月12、13、14と社員の方にに同行していただいて営業現場研修を行い、そして15日から本格的に営業活動をスタートしました。
2月14日には親友Iと回り、「バレンタインにピンポン押すのは気が引けるなー」とか言いながらやってたのを今でも覚えています。笑
最初の頃はは一度会社に行かなければならず、会社付近の船橋とか千葉とか小岩とかで営業をしていましたが、途中からは独り立ちを許され、家の周りの練馬付近で営業活動をするようになりました。
営業日本一の恩師の教えや、会社の方々のご指導もあり、
2月には月24件を取り、その会社で1位の成績を出すことが出来ました。(登録数数百人の中で)
↓当時使っていたバインダー
このバインダーと口さえあれば、月数十万稼げるといおうのは大きな自信です。
リーダーに抜擢され全国2位に導く
営業の世界というのは数字が全てなところがあって、2月に成績が1番だった私がリーダーを務めることになりました。
特にリーダー経験があったわけじゃなかったので、ほんとにがむしゃらにやっていましたが、基本的には自分が数字を出してみんなを引っ張ろうとやっていました。(そのプレッシャーに苦しんだ時も有りましたが。笑)
その結果、大学2年の3月に、御蔭さまでチームとして全国2位を取ることができ、大きな前進をすることができました。
その間にとある会社さんから「1件55000円出すからうちに来ない?」などのヘッドハンティングもありました。
カフェで角の席で1対3で囲まれて、なかなかの修羅場でした。笑
その後は、NTTの方で変更があったりして、
4月には全てバイトを辞めてUCOM光、e-mobile、willcomなどの営業を行いました。
その中で、販売権を手に入れるために会社との交渉や、情報を手に入れるための人脈開拓などを行い、徐々に自然に
ビジネス
というものをもっとやりたいと考えるようになりました。
そして恩師のもとで本格的にビジネスについて学ぼうと、毎日恩師につきまとう生活が始まりました。
→続く
【ストーリー①③】【大学3年/7〜11月】恩師Iさんの側でビジネスを学びながら人脈を広げる - 元学生社長の希少な戯れ言